novelist-kentoの小説活動

仕事のかたわら、主に社会派SFの長編や日常ものの短編小説を書いているアラフォーの男です(^_^) このブログでは、自身の書いた小説だけでなく印象的だった作品のご紹介と、読者様、または実際に執筆をされておられる方が楽しめる・タメになる記事を発信できたらと思っています_(._.)_

80年前の東京に向かった理由

 今回の記事で、今作のあらすじや作品への想いを述べます。
 今作の主人公は大学生の二十歳の男の子です。国連の秘密機関の命を受けて、2025年の世界から80年前の1944年8月の東京にタイムスリップします。そこで、一番の協力者である海軍大臣の米内光政と共に、戦争の早期終結に向けて奮闘する話しです。
 そう、ここで早期終結とは、史実で原爆が投下される1945年8月6日までに戦争を終わらせるということです。なぜそれまでに戦争を早く終わらせる必要があるのか? については、前々回の記事『水の都で起きた悲しいできごと』で書きましたように、私は広島市民であり、原爆の惨状を知っていてショックを受けました。それ故、原爆で亡くなった人の苦しみや命を救えるなら救いたいと思ったこともあります。でも、過去に起きた事実は変えることはできません。でも、フィクションの世界ならそれができるのではないか。そう思ったきっかけは、2012年の夏に観たNHK特集番組の「終戦 ~なぜ早く決められなかったのか~」でした。
 東京大空襲沖縄戦、そして広島・長崎への原爆投下などにより、終戦までの六か月間に日本人の犠牲者は急増しました。戦局が悪化の一途を辿る中、帝国日本の指導者たちは折を見て何度か会議の場を設けて、今後の戦争の方針について話し合いをしていました。が、集まったどの指導者も意見をまとめることができず、戦争を続けるか終わらせるかの決定を後伸ばしにしていったのです。戦争を早期に終結できるチャンスを何度も逸する指導者たちを歯がゆく思いました。と同時に、史実の出来事を全て知っている人物が過去に戻れて、戦局を変えられるような立場にいる指導者に働きかけることができるならば、本当に早く戦争を終わらせられるかもしれないとも思いました。
 広島と長崎の人々を原爆から救うだけでも、内容次第で十分、感動を呼ぶものはできると考えました。ただ、原爆投下より早く戦争を終わらせても、二十数万の命は救われたとして未来に何が残るのだろうという疑問が生じました。色々悩み、取材を進める中で見えてきたのはアメリカの存在でした。トルーマンが広島・長崎の原爆投下を正当化したことが、後の世界各国の核兵器開発競争を招いたという事実でした。そう、広島と長崎への原爆投下を阻止することは、原爆により犠牲になった人たちを救うだけでなく、今我々が生きる世界を平和なものにするに違いない、そう考えたのです。

 今作は私と同年代か、それよりもっと若い世代、中学生や高校生の方たちといった幅広い世代に読んで頂きたいという想いがあります。『戦争』という、前線においても、会議の場においても、一つ一つの判断・言動が人々の生死を左右する極限状況に東京の大学生という主人公を置きました。そういった状況の中でも、現代にも通じる、広い視野を持つことや諦めないことの大切さ、人と人との絆について何か感じてもらえたらと思いました。もちろん、史実を取材する中で知った当時の偏った考え方や戦争の悲惨さや虚しさも伝えられたらと思います。
 戦争について、若い人たちだけにではなく、大人の方たちにも新たな発見があるような、そんな物語になっているかと思います。

 ひとまず、これまでの「私の生い立ちとこれまで」から「水の都で起きた悲しいできごと」、「裏切られた淡い思い出」と続いて今記事「80年前の東京に向かった理由」にて、私が今作を書いた背景や大まかな内容、作品への想いは伝えられたかと思っています。今後は現在執筆中の作品についてのトピックや、印象に残った作品の書評、今作の内容を(ネタバレしない程度に)掘り下げた記事も書いていこうと思っております。
ここまで読んで下さった方、どうもありがとうございました。