novelist-kentoの小説活動

仕事のかたわら、主に社会派SFの長編や日常ものの短編小説を書いているアラフォーの男です(^_^) このブログでは、自身の書いた小説だけでなく印象的だった作品のご紹介と、読者様、または実際に執筆をされておられる方が楽しめる・タメになる記事を発信できたらと思っています_(._.)_

水の都で起きた悲しいできごと

 前々回の記事「生い立ちとこれまで」の続きになりますが、ある出版社から出して頂くことになった今作(以下、『今作』と省略します)を書こうと決意した強い動機になった出来事についてお話したいと思います。私がどんな作品を書いたのか少しでも興味を持って頂ける方にはぜひ知ってほしい内容です。

 広島市被爆都市として小学校の頃から平和教育に力を入れています。広島市民の私は小学校の頃に原爆資料館に親に連れて行かれましたし、学校で原爆を扱った絵本を読んだり、アニメを観たりしました。語り部の方から話を聞いたりもしました。どれも幼い自分にとってショックであり、正直トラウマになったところもあります。社会人一年目も肩書上、広島市の公務員だったので、研修で原爆資料館の見学に行きましたが、その幼い頃のショックというか恐さは色褪せてはいませんでした。
 社会人二年目の時に、大学の頃に知り合った関東の友達M君が広島に遊びに来てくれました。その時に広島のスポットを案内してあげようと思い、その中の一つとして平和公園にも連れて行きました。原爆資料館被爆された方の遺品や被爆直後の惨状をジオラマにした蝋人形を見ながら彼が、「生き地獄だな」と言っていたのが印象に残ってます。もちろん、お好み焼きを食べたり、比治山にある現代美術館に行ったりもしました。宮島にも車で行こうとしましたが、シルバーウィークで混んでいたため途中で引き返しました(^^;
 原爆の惨状を語らずして、原爆というものは語れませんし、語ってはいけないと思います(実際に広島・長崎に落とされたという事実に基づけば)。果たして原爆だけでなくあの戦争すら体験したことのない私が、原爆を題材にした重い作品を書いていいものなのか、と悩んだ時もありました。穏やかな街や人が一瞬にして吹き飛ばされ焼け焦げた、そういったシーンを書こうとしましたが、ネットを中心に取材を進める中で、恐くなり断念してしまいました。
 ただ、そういった原爆の惨状以上にどうしても伝えたいことがあって、パソコンに向かい続けました。